はねしろにっきちょう

創作してる人の至極プライベートな独り言。

自己表現という趣味。

もう数年は前になるか、ちょっとした事でごく身近な方に音声収録を頼んだ際、「自分は自信が無い、けどあなたが選んでくれて嬉しい、自分みたいな役者を使ってくれてありがとう」と返事が来た事がある。
この文面はあくまで要訳であり、文面の詳細は覚えていない。もう少し軽いノリで、自分を卑下している文面だったと記憶している。
私はこの返事を見てすぐ、「自信が無いのなら参加を考え直して欲しい」と返事を送った。丁寧な謝罪文の後フォローが外れ、その方は鍵垢を新しく作り直していた。関係はぱったりと止んだ。

自己表現の活動は、趣味は、この辺りが難しいと思う。
「趣味だから」絶対に良い物にしたくて、私はその方の自身を卑下した言葉を受け入れられなかった。本当に簡単な要件での収録をお願いしたのだが、人目に触れる物の制作を予定していた為、真っ先に自身の芝居を否定する様子であれば成程良い物を期待するのは難しいのだろうと思い立っての返事だった。今思い返しても自身の芝居を否定する役者の起用を思いとどまった事については間違っていたとは微塵も思っていない。
この辺りは従来語調が強い性分が悪く出たのかもしれない、という意味では勿論反省している。しかしそもそも人付き合いにおいて「何が正しかったのか」は深く考えるだけ底の無い沼に足を自ら突っ込む愚行と同じだと思っている。

ただ私は「趣味だから」ただただ楽しくいたい、という方も知っている。知っているし、勿論気持ちは理解できる。
この「趣味だから」という言葉を大変厄介に思っていて、時折他者との創作という一世界では私にとって大変不本意な言葉を聞く事が多々ある。ある程度は我儘も飲み込む術を覚えたが、本当に時折「趣味だから」という言葉が酷く横暴な盾に見える事がある。
自分の言葉を飲み込むストッパーの挙動が未だに怪しい。皆どうやってそう、言葉を上手く使っているのか、気持ちの面はどうなっているのか、聞いて回りたくなる事が稀に良くある。それがまさに今。


気まぐれにその方の公開されているTwitterを見に行ったら、ブロックされていた。
ブロック自体は別に構わない、というより、悪意をぶつけるでもなく互いの視界から互いが消えた事については、唯々感謝している。
もしこの記事が届いていたらありがとう。貴方の選択はきっと正しい。
ならば私はどうしたら貴方にとって正解だったのか?と、悶々と考えていた。恐らくこの感じは一人で考え続けていても答えは出ないので、此処にだらだらと書き残して考えるのを止める事にした。

私自身も、発表する物に、書いた物に芝居に全く自信が無い。
だけどそんな物は、他の方の創作に参加する際は全く関係が無い。作品に乗せるのは作品に相応しい気持ちだけで良いと思っている。
作品を見て下さる方には素晴らしい作品が届けばいいと願っている。これまで参加させて頂いた作品は常々それを叶えて下さったし、これから参加する作品も叶えて下さると思っている。
制作を進めて下さっている方には望まれた物が届けばいいと思っている。私はその作品にただ相応しく居られたら良いと思っている。趣味だから。