はねしろにっきちょう

創作してる人の至極プライベートな独り言。

置き去りの作品。良くある話。

この時期になると絶対に心から離れない事がある。数年前に編集を担当した作品だ。

元々編集を担当されていた方が精神的に摩耗しており編集に手がついていないと聞いて、私がやろうか、と手を挙げた事が発端だった。
この作品、恐らく安価のICレコーダーを使用していた方がいたり、音源が揃って居なかったりと多々苦労をした。
しかし私自身もアップロードのすぐ後、致命的なミスを犯していた事に気付いているので、まあ、色々と未熟だったのだなとその一言で顧みるのを止めている。
(この記事を見て万が一作品を探す方がいらっしゃれば、聞くなとは言わない、ただ音質にほんの少しだけ目を瞑って貰えたら私が嬉しい。恐らく良い音質で聞ける時間以上の音源をアップロードしてしまった私のミスだ)
公開の直前も直後も、私と周囲とのテンションの差異で悔しい思いもした。上記のミスに気付いていながら、改善を怠っているのはその悔しい思いの所為だ。今となっては大元の音源が無い為改善すら出来ない。思えばとんだ怠慢だ。
「悔しい思い」についてはこの記事には書かない。ただ、一次創作、ボイスドラマの制作に関わっている方は皆一度は、大なり小なり通っている道だと思う。
だからと言って黙っている事が出来ないのが私だ。その「悔しい」を解消?した事について書く。


役者が一人いた。友人と言うには遠く、知人と言うには近かったと思う。そりゃそうだ、一応は同じサークルに所属していたのだから。
数度、カラオケや食事にもご一緒したと思う。お酒の席に一緒についた事もある。
御多分に漏れず本当に芝居が好きな人だったと思う。一緒に芝居をした後は常に、自分の芝居に満足していないんだろうと解る雰囲気が常に伝わってくる人だった。
そして人の芝居をよく聞いて、沢山の言葉の中から適切な物を探して、伝えてくれる人だった。人の芝居を簡単な言葉で済ませる人ではなかった。

上記の作品に、その人は作中最も多いだろう台詞数で参加していた。三百から四百程台詞が有ったと思った。
台詞全てから句読点が排除された台詞。そういうキャラクターだった。
全ての役者さんの音源を頂いて一通り聞く中で、彼の台詞の大多数にほんの僅か、機械音のノイズが入っている事に気付いた。
私の技量でそれを消す事が、最も聞きやすくする事が難しかった。申し訳ないが、全て録り直して欲しい。時間がかかっても構わない。数日悩んでそう伝えた。
全てを録り直した台詞が、三日と掛からないうちに届いた。私がその人にどう伝えるかを悩んだ数日より早く届いた。それに甚く感動した。

この界隈ではきっとありふれた話で、唯々時間が許したから、環境が整っていたから、それだけだったのかもしれない。
同じ事が出来る方がいるのかもしれない。それが当然だと仰る方もいるのかもしれない。
でも私は嬉しかった。本当に嬉しかった。当人の気持ちがどうあれ、参加を了承して参加の為に時間を割いて意志を表明してくれたのが嬉しかった。
私も声での芝居をしているからこそ、あれだけの台詞量をあのキャラクターで、芝居を維持して録り直す事がどれだけ大変かは重々に承知している。だからこそその人にどう伝えるのか悩んだ。
完成までに時間が掛かった、色んな事があった。悔しかったし悲しかったし腹が立ったし、正直に言えば今もこの時の悪夢を夢に見る。
同じタイミングで、それでもあれだけの苦労をしてくれたんだよな、と、何度も言うが嬉しかった。応えるにはどうしたらいいのかを只管に模索した。
その時の嬉しい、だけにしがみついて作品をどうにか完成させようと作業を続けた時もあった。


人との離別は「声から忘れる」というある種の定説がある様に思う。三十年生きた中で私もそれを実感している。
その人と私は今後話をする事はもう無いだろう。その人の声を私が聞く事はきっともう無い。
私の元には、その作品だけが残った。多々悔しい悔しいと書いてきたが、今はそれで良いと思っている。
「でも作品は残ったからそれでいい」と、ある時ふと思った。極々最近の話だ。
何年もマイナスの気持ちを煮詰めて、残ったのはその一個だった。それでもこの一個は、私が長年、ずうと欲しかった物だと思う。


その作品を完成させた事を美談にするつもりも、この記事を美談にするつもりも無い。
私が発信した物を受け取る方がどう取るのかは、目に留めて下さった方に委ねたい。発信しているのだ、目に留めて下さった方の心がもし発信される事があれば、出来るだけフラットに受け止めたい。

偶々話を聞いてくれる当事者が居たからこそ、何度も私の「悔しい」を伝えた。それはもう執着と呼んで差し支えなかったと思う。
それでも作品が残る。残ったままの形で残る。どう意味をつけるのかは個々人の自由だ。
作品とは常々、時間の中で置き去りにされ続けていくのだと思った。
どんなに夢中になって作っても、作ってる最中に何があろうと、私達は作品を置き去りにして過ごさなければいけないらしい。
作り上げればそれでいいだろうと思っていた。だから改善を怠った。何度も書くがこれは私の怠慢だ。金輪際同じ轍を踏みたくないから記事にしようと思った。
そう思えば、作品から何を拾って過ごすのか、という楽しみが出来た。

作品を作っている人達の中には、こういう人間もいるらしいという事を書き残したかった。
誰かの当たり前を当たり前にこなしてくれる人がいるだけで、前を向ける人間はある程度居るらしい。
少なくとも、私はそれに該当する。


結局ちょっとした美談になってしまった様な気がしてものすごく癪なのだが、この記事を作品が公開された月日と同じ日には公開しなかったのでまあ、勘弁して頂ければ。書こうと思いついたから今日書いた。
私はそういう賢しい事を考える人間である。